前回はマスクについて解説いたしました。
今回は、感染制御学領域でもこれまであまり重視されてこなかった換気についてです。
シリーズ一覧
第1回 エアロゾルとは何か?
第2回 バイオエアロゾルが発生する状況(歯科領域)
第3回 バイオエアロゾルはどれくらいの時間、空中に浮遊するのか
第4回 バイオエアロゾルはどれくらいの範囲を汚染するのか
第5回 バイオエアロゾルによって汚染された環境表面の清掃・消毒
第6回 バイオエアロゾルの発生を抑制またはリスクを減らす方法
第7回 マスクについて
第8回 換気について ←いまここ
換気の重要性について
- 日本の研究では、換気が最小限の閉鎖的な環境が、クラスターの発生に強く寄与していることが示された129)
いわゆる”3密”と換気の重要性を指摘した西浦論文です。
今では”3密回避”はグローバルスタンダードになりつつありますね。
イタリアのロックダウン前後の狭小空間におけるCOVID-19発生状況と換気システムに関するシミュレーション研究130)
- 対象の狭小空間は、薬局、スーパーマーケット、レストラン、郵便局、銀行で、ロックダウン前はいずれも混雑していた。
- 自然換気は 0.2回/hr との仮定、機械的換気はイタリアの基準(UNI 10339、1995年)をもとに計算された。
機械的換気の基準として示された文献がイタリア語だったので、どれくらいの換気効率*1の空調設備を想定しているのか、という肝心な情報が分かりませんでした。
- 図は、ロックダウン前(左)とロックダウン後(右)の、自然換気(各左側)と機械換気(各右側)での基本再生産数(R0)を示している。
R0(Rノート)とは、1人の感染者が平均何人に感染させるかを示した数字です。
- ロックダウン前のR0
薬局 :自然 3.70 機械 1.30
スーパーマーケット :自然 2.19 機械 1.16~1.30(数値は明示されていない)
レストラン :自然 47.3 機械 5.35
郵便局 :自然 3.64 機械 1.16
銀行 :自然 3.52 機械 1.16~1.30(数値は明示されていない)
ロックダウン前は、国の基準を守っても機械換気では R0 を1未満にすることはできませんでした。
- ロックダウン後のR0
薬局 :自然 0.49 機械 0.22
スーパーマーケット :自然 0.17 機械 0.12
レストラン :自然 0 機械 0 (営業停止のため)
郵便局 :自然 0.41 機械 0.34
銀行 :自然 0.81 機械 0.34
ロックダウン前後のどちらでも、機械換気の方が小さい R0 を示しています。
「自然換気よりも機械換気のほうが換気効率が良い」ように見えますが、この結果は自然換気の換気効率が 0.2回/hr という前提下での研究です。
もし自然換気の換気効率がもっと大きければ、結果は異なった可能性があります。
従って本研究結果からは「自然換気と機械換気の優劣」は分かりません。
分かることは、
① 密な環境は感染リスクが高いため、密集を回避すること・換気をすることが重要である
② 換気により感染リスクは下げられるが、機械換気だけでは密集には太刀打ちできない可能性がある
ということです。
淘大花園(アモイ・ガーデン)のSARS集団発生131)
COVID-19ではなく、SARSの例です。
香港の淘大花園で発生したSARSクラスターの事例はCOVID-19ではないものの、示唆に富むものですのでご紹介いたします。
- 発端は淘大花園に住む兄弟を定期的に訪問していた、深圳在住の33歳の男性。
- 彼は2003年3月14日にSARSを発症、3月14日と19日に彼は兄弟のもとを訪問した。
- このとき下痢症状が出ており、頻繁にトイレを使用した。
- その後、淘大花園内に感染が拡大した。
- トイレのU字型の排水管を経由して各家庭へ汚水が流れ込み、ウイルスがトイレという小さな空間で水洗時などにエアロゾル化し、それを吸入あるいはエアロゾルが付着した媒介物との接触により感染伝播したと考えられている。
この事例の教訓から、今回のCOVID-19への対策でも「トイレの蓋を閉めて水洗すること」、というガイダンスがなされています。
この経路が確認されるまで「もしかして空気感染するのか!?」という情報が錯綜し、混乱をきたしました。
この事例を聞くと、「じゃあトイレの窓は開けておこう」となるかもしれません。
しかしトイレの窓を開けっぱなしにすると、ドア開閉時にトイレ内の空気が廊下などへ流入する危険性があり、推奨されません。
窓は閉めておいて換気扇を常時回しておく、窓を開ける場合は廊下の窓なども開けて十分に通気させる必要があります。
医療機関における換気条件
一般的な歯科診療所における換気の条件については分かりませんでした。
そこで医療機関の換気条件について確認することといたしました。
- 陰圧室の最低要件は、1時間あたり12回の空気交換である132)
”陰圧室の場合”ですから、一般の歯科診療所には当てはまりません。
一つの目安にはなろうかと思います。
- 自然換気は低コストの代替案となる可能性がある133)
自然換気で十分な換気効率が得られれば、もっともなことだと思います。
機械換気について
LAFについて134)
- 医療機関で使用されている特殊な気流パターンとして、ラミナエアフローシステム(LAF : laminar air flow)がある
LAFとは、HEPAフィルターを通した空気を一方向で層状に送り込むシステムである
片方の壁にHEPAフィルターを取り付け、反対側の壁に向かって空気を送り出し、部屋ごとLAF化して陽圧化したものが、いわゆる”クリーンルーム”です。
天井に送気口、壁に吸気口があるタイプもあるようです(主に陰圧室)。
- LAFは手術部位感染(SSI)を予防することが予想される理論的な利点があるが、備品やライト、医療スタッフの往来、エアウォーマー(体温を保温する装置)およびドアの開閉などにより気流が容易に乱されてしまうため、LAF は SSI を予防しなかった
- CDCは、LAF を手術室で使用するような推奨はしておらず、さらなる研究が必要であるとしている
SSI を予防するほどの効果はありませんので、一般的な歯科診療所の手術室”だけ”に LAF を設置する意義はあまりなさそうです。
気流が乱されるような構造が多いとLAF は効果が減弱することが予想されます。
個室ごとでの使用であれば効果的であろうかと思いますが、オープンスタイルの診療所ではどうでしょうか?
天井型135)
- 天井に送気口、壁に吸気口を備えた換気装置もあるが、ガス状粒子や微粒子(≒エアロゾル、小さなエアロゾル)の除去は天井排気のほうがより効率的であり、大きな粒子(≒スプラッター)は換気ではなく主に沈着によって除去された
それぞれの換気装置のスペックや家具等の配置に大きく依存すると思いますが、天井型の機械換気で十分な効果があるのかもしれません。
同時に、環境清拭・消毒の重要性が示唆されます。
環境清拭・消毒についてはこちらを参照してください。
エアロゾル、小さなエアロゾル、スプラッターの定義が不正確だと誤解の元になります。
ご不明の場合は”必ず”こちらの記事を参照してください。
PVシステム
環境学領域や産業医学領域では「機械換気だけでは労働者の安全確保に十分でない」とする科学的根拠があるようで、個人用の換気システム(PV : personal ventilation)の研究・実験が行われています。
そのPVに関する文献136)をご紹介します。
- PVは一般的な機械換気を補完することができる
天井型の機械換気装置とPVとを併用した実験では、個人保護の効率が最大35倍に向上したことが示された
PVとは図のような装置です。
これをオフィスの個々のデスクに設置するんでしょうか...笑
それはさておき、見覚えのある装置ですね。
その効率が”35倍”という数字は頼もしいな、と思えます。
REHVAガイダンス
欧州空調・換気設備協会(REHVA : Federation of European Heating, Ventilation and Air Conditioning Associations)がCOVID-19に対して、主にビルの換気運営に関するガイダンス137)を発表しています。
一般の歯科診療所にも適用できる部分を抜粋してご紹介いたします。
- 可能な限り多くの外気を供給することが基本
- 重要なことは、一人当たりの新鮮な空気の供給量である
- 循環システムは使用しない
とにかく外気を供給することが重要あるとしています。
- 機械的な換気システムがある建物では、運転時間を延長する
- 建物の使用時間の少なくとも2時間前に通常速度で換気を開始し、建物の使用時間の2時間後に低速に切り替える
- 人がいないときもスイッチを切らずに、低速モードで24時間365日運転を継続する
- 空室もスイッチを切らずに、低速モードで運転を継続する
機械換気を用いる場合、診療開始前後も通常運転を行い、また夜間・休日も低速で運転を続けることを推奨しています。
- トイレの排気システムは常に稼働させ、バイオエアロゾルが拡散しないようにトイレ内が陰圧になるようにする
先ほどもお伝えした通り、トイレから廊下等へ空気の流れが生じないように気を付ける必要があります。
自然換気
REHVAガイダンスでも自然換気の重要性が強調されています137)。
- より多くの窓を使用して換気する
- 混雑した換気の悪い空間には近づかない
混雑した医院環境を作らない、と読み替えることができます。
- 窓による換気は、空気交換率を高める唯一の方法である
- 機械換気のある建物でも、窓を開けることでさらに換気効率を高めることができる
REHVAガイダンス 実務対策のまとめ
ガイダンスで「まとめ」として列挙されていた項目をお示しします。
- 外気による換気を確保する
- 建物の使用時間の少なくとも 2 時間前に換気を通常速度に切り替え、使用 2 時間後に低速に切り替える
- 夜間および週末も、低速モードで換気を続ける
- 機械的に換気された建物であっても、定期的に自然換気を行う
- トイレの換気は24時間365日稼働させておく
- 正しい空気の流れを確保するためにトイレの窓は開けない
- トイレは蓋を閉めて水を流すように指示する
- 再循環式のエアハンドリングユニットを100%外気に切り替える
- 熱回収装置を点検し、漏れがないことを確認する
- ファンコイルをオフにするか、ファンが継続的にオンになるように動作させる
- 加熱や冷却、加湿のセット値を変更しない
- ダクトクリーニングはCOVID-19対策としては行わない
- メンテナンススケジュールに従ってフィルターを交換する
- 定期的なフィルター交換及びメンテナンス作業には防護具を使用する
ダイキン工業の資料
自然換気について文献を様々読みましたが、流体力学の計算式が出てくるシミュレーション研究が多く、正直言って十分には理解できませんでした。。。
何となく分かる程度にはなりましたが、その知識の範囲で申し訳ありませんが、このダイキン工業の資料を上回るものはありませんでした。
私があれこれ申し上げるより、こちらをお読みいただければ十分かと思います。
一応申し上げておきますが、開示すべき利益相反はありません。
いくつかポイントだけ挙げておきます。
換気を行う場合は部屋の対角線上にある窓同士を開ける
風通しが悪い場合は、どちらかの窓を小さく開け、もう一方を大きく開けることで空気の流れを作りやすくなります。
窓が一つしかない部屋の場合
窓の近くに、開けた窓に扇風機を向けるようにしましょう。
窓のない部屋の場合
サーキュレーターや扇風機を応用する必要があります。
排気口の有無によりサーキュレーターの向きが違いますのでご注意ください。
窓のないオフィスビルなど
3.窓が開かない大型ビルの中にあるオフィスや店舗
オフィスビルや商業施設など、窓が開かない大型の建物では、換気は機械によって効果的に行われています。広い空間では、大型の機械で換気をしたほうが効率が良いため、換気設備は機械室と呼ばれる一般の人は入れない部屋に設置され、建物の管理会社が運転操作を行います。
窓が開かないので換気が不十分ではないかと心配する必要はありません。
ビルや商業施設には、人がかなり密集した状態でも健康に影響が生じない十分な能力がある換気設備を設置することが建築基準法で定められており、機械のメンテナンスも管理会社が適正に行うことになっています。
ただし、換気設備の運用は建物によって様々です。たとえば、オフィスを利用する人の在室時間を基に、9時~18時というようにあらかじめ決まったスケジュールで運転時間が設定され、時間帯によっては、換気設備が動いてない場合もあります。 時差勤務や休日出勤をする場合などには、働いている時間帯に必要な換気がされているか、お勤め先の総務部などの担当部門や建物の管理会社に確認することをおすすめします。
オフィスビル等で開業していらっしゃる場合は、管理会社に常時換気装置が稼働しているかどうか、確認してください。
厚生労働省資料
厚生労働省からは、「換気機能のない冷暖房設備を使っている商業施設等の皆さまへ」と題した資料が発表されています。
これからの時期、外気温が高い時には「30分に1回、数分間の換気」を行うと、ビル管理法で定める居室内の温度および相対湿度の基準「28℃以下、70%以下」を維持できない場合がある、と指摘しています。
その他
- 食品や植物、植木鉢などは空気中に様々な真菌胞子を放出する138)
- 加湿やエアコンは実用的な効果がない137)
- 市販の空気清浄機のほとんどは、十分なウイルス除去効果を持っていない137)
空気清浄機が機能する床面積は10m^2未満と非常に狭い
まとめ
各歯科医院によって環境は様々であろうかと思います。個別の対応を考える必要があります。
共通して言えることのはトイレでしょうか。
トイレの窓はほとんどが小さいものでしょうから、トイレの窓を開けていると、小さい窓から大きな窓へ空気の流れが出来やすくなってしまいますから注意が必要だと考えられます。
個別具体的なご質問やお問い合わせにつきましては、以下のメールアドレスまたはFBのメッセンジャーからお願いします。
masaomikono*gmail.com (*を@にしてください)
参考文献
129. Nishiura H. doi.org/10.1101/2020.02.28.20029272
130. G. Buonanno. doi.org/10.1101/2020.04.12.20062828
131. WHO, 2003.
132. WHO, 2007.
133. Escombe AR. PLoS Med, 2007; 4: 309-317.
134. J. D. Katz. Anesth Analg, 2017; 125: 1214-1218.
135. J. Wei. Am J Infect Control, 2016; 44: S102-S108.
136. Yang J. Indoor Air, 2015; 25: 176-187.
137. REHVA. 2020.
138. B. Ghosh. Environ Inter, 2015; 85: 254-272.
*1:部屋の空気全てが1時間あたりに入れ替わる回数